名僧と寺宝

名 僧

寒巌義尹禅師木像(圓通寺蔵)

誓海義本大和尚(開山)

 普済寺開山華蔵義曇の一番弟子。熱田神宮祝詞師田島仲宗が旧堂を廃して伽藍を再建した時、請に応じて圓通寺を開いた。文明元年(一四六九)に土御門天皇より大明禅師を謡号されている。

明谷義光大和尚(二世)

 熱田神宮大宮司千秋家の出身。開山の法を嗣ぎ常安寺、法持寺、福重寺を創建した。長楽寺、秀泉寺、宗福寺、松屋院、黄龍寺、龍泉寺の開山にもなっており、門流発展の礎を築いた。

興倫元苗大和尚(九世)

 輪住時代は仏殿と庫院、二塔頭のみであったが、宝永元年(1704)に進院して以来、同7年(1710)までに仏殿、方丈、庫院、客殿などの諸堂を復興した。「円通革鼎記」「補陀山円通禅寺聖像記」を著わし、復興に至るまでの経緯と本尊について述べている。

龍重旭泉大和尚(十六世)

 愛知郡平針村の出身。秀伝寺の柏林芳樹について得度し法を嗣いだ。宝暦7年(1757)十二月に住持して以来、殿堂を修補するとともに御影堂、鐘楼堂、庫院、秋葉堂、衆寮などを新築した。明和元年(1764)8月には開山誓海義本の位牌を再興した。
普済寺には三度にわたって輪任しており、宝層13年(1763)7月には普済寺の法要などの儀軌について『三足鼎儀軌』を著わした。33年間住職し中興号を贈られている。

信叟仙受(二十七世)

 瑩山禅師の「伝光録」を開板した近江・清涼寺の仏洲仙英(1794〜1864)の弟子。鳥取の光明寺、熊本の東向寺、美濃の洞雲寺に歴住しており、本山の単頭を務めるなど僧堂の師家として多くの学人を接化した。漢詩にも秀出た風流人である。特選で入寺して以来、曹洞宗認可僧堂を開設したり、小松宮彰仁親王より「秋葉出現道場」の大額を受けるなど秋葉山を広めた。歴住の行歴の資料を書写するなど圓通寺文化の中興者ともいえる。晩年は仙台の輪王寺に転住した。

鉞厳仙雄(二十八世)

鉞厳仙雄(二十八世)

 仙受の法嗣。曹洞宗大学林寮監、曹洞宗中学林教授、曹洞宗台湾布教師、曹洞宗大学林総監、曹洞宗特選議員など多くの公職にも就いた。模範的布教師として有名で、宗典を漢訳して布鼓と題した。博学で言論、文章は群を抜き、宗門推一の文章家ともいわれた。十二間の本堂を再建し、昭和3年には曹洞宗専門僧堂指定されて多くの雲衲を打出した。再中興号を贈られており、昭和47年5月24日には、随身者らの道友会によって胸像が境内に建立された。

寺 宝

十一面観世音菩薩木像
奉澄(682−767)作。
本尊釈迦木像
行基(668−749)作。
毘沙門天像
年代作者不詳。
十一面観世音菩薩木像
空海(774−835)作。
通幻禅師の伝衣
 峨山禅師の弟子通幻寂霊(1322−91)の搭けた伝衣。横210センチ、
縦116.5センチ、三長一短の九条衣である。仏洲仙英に伝わっていたものを
仙受が相承した。子孫鎮護すべきことを仙英が記している。